μ-e転換過程の測定原理と背景事象

低エネルギーの負電荷ミューオンを標的物質に静止させると、ミューオン原子が生成される。ミューオン原子の基底状態にいるミューオンがμ-N → e-N反応を起こすとEμe = mμ - Bμの運動エネルギーを持つ電子が放出される。この電子を測定することによって、μ-e転換事象を同定する。ここで、mμおよびBμはミューオンの質量およびミューオン原子の束縛エネルギーである。COMET Phase-I実験で使うアルミニウム標的の場合、Eμe~104.97MeVである。背景事象(バックグラウンド)としては、(1)ミューオン起源のバックグラウンドと(2)ビーム起源のバックグラウンドがある。前者(1)の例は、束縛状態のミューオン崩壊からの電子(decay in orbit =DIO)で、稀に原子核の反跳で100MeV領域に加速され、バックグラウンドとなる。

 

後者(2)の例は、ビーム中のパイオンが標的に静止して、輻射パイオン原子核捕獲(radiative pion capture = RPC)からの光子が対生成反応をして電子を放出する場合である。または、飛行中のミューオンが崩壊して高いエネルギーの電子を放出する場合(decay in flight = DIF)などもある。前者(1)のバックグラウンドを抑制するためには、高い運動量分解能をもつ飛跡検出器が必要である。後者を抑制するためには、パルス状時間構造をもつ陽子ビームを用い、陽子ビームパルス間で測定するなどの対策がある。この際、パルス間の陽子の漏れ(proton extinction)が非常に少ないことが要求される。

本研究での測定器の概要

COMET Phase-Iでは、Phase-IIでの(粒子の運動量と電荷の選別をする)湾曲ソレノイドの電子スペクトロメータがないために、Phase-IIでの測定器システムをそのまま使用することができない。そのために、新たに円筒ドリフトチャンバー(cylindrical drift chamber=CDC)を採用することに決定した。図5にあるように、ビームラインと測定器を配置する。

本研究での実験精度の評価

COMET Phase-I実験では、8 GeVの陽子ビーム・エネルギーと0.4μAのビーム電流(2.5×1012 proton/s)が必要である。これは、3.2kWの陽子ビームパワーに対応している。COMET Phase-I実験において、標的に静止するミューオンビーム強度は、0.00064 per protonと評価されているので、1.6×109/sのミューオンビームが期待できる。これは世界最高強度のミューオンビームである。本研究の実験期間として8×106秒(すなわち約90日間)を仮定すると、静止ミューオン総量はNstopμ = 8.7×1015となる。

 

また、今回製作するCDCによるμ-e転換過程シグナルの検出効率(シグナル・アクセプタンス)は0.043であり、ミューオン原子の基底状態からミューオン捕獲割合は0.61であるので、COMET Phase-IでのSES実験精度は3.1×10-15となり、90% C.L. の上限値はB(μ- + Al → e- + Al) < 7×10-15となる。これは、現在の上限値7×10-13を100倍向上した値になっている。一方、COMET Phase-IのCDCで予測されるバックグランド事象は、シミュレーションによって評価され、十分に小さくで、0.02個である。この実験精度は実験期間が1.5×106秒の場合であるが、もしバックグラウンドが予想通りに小さいようであれば、更に長く測定を継続することで実験精度を一層向上する可能性がある。

本研究計画は、図6に示すようなCOMET Phase-I実験の測定器を製作し、その後μ-e転換過程探索実験を遂行することである。COMET Phase-Iの測定器はCDCを採用し、その中心にミューオン静止標的を置く。ミューオン静止標的の材質としては、ミューオン原子の寿命が長いアルミニウム(Al)を使う。CDCは、約1.0T~1.5Tの磁場を発生する超伝導の測定器ソレノイド磁石の中心に置かれる。CDCの長さは1.5mで、内半径が540mmで外半径が840mmである。

CDCの横方向運動量カットは約70MeV/cになっており、ミューオン崩壊からのほとんどの電子はCDCに到達しない。CDC設計は基本的にBELLE-IIやKLOEのCDC仕様を参考にしている。測定器ソレノイド磁石は鉄ヨークを備えており、宇宙線バックグラウンドの減少にも貢献する。また、静止したミューオン総量をモニターするために、Alのミューオン原子からの原子X線をCDCの横に置いたGe検出器で測定する。

KEK素核研が計画している陽子ビームラインとCOMET Phase-Iのミューオンビームラインの建設スケジュールを図7に示した。平成27年度までに施設・設備の建設は完了する予定である。この計画に相応するように、測定器と測定器ソレノイド磁石の建設は平成27年度までに終え、準備実験を平成28年度に開始する予定である。